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病気を発見できなかった医師には責任が生じるのか

医師の先生とお話しするとよく言われるのが「弁護士と関わらないことが良い医師だと思っていた。」「患者や家族から訴えられたら、その時点で医者人生が終わると思っていた。」という話です。

もちろん、弁護士や訴訟とは無関係に医業に専念できたらいいのですが(当職が言うのもなんですが…)、患者や家族にはその人たちなりの考えがあるので、完全には防ぎようがありません。

さらに、話していて感じるのは、心の奥底では「治療したが重大な結果になってしまい、患者や家族から訴えられたら、何らかの責任を負うのではないか」と怯えてらっしゃる方が多いということです。

今回ご紹介するのは、特定の病気を発見できなかった獣医師が責任を負うのかが争われた東京地方裁判所令和元年10月31日判決です。
この事案をもとに、「病気を発見できなかった」「重大な結果が生じた」というだけで医師が責任を負うわけではないことをご説明いたします。

目次

事案の概要

Xは、飼い犬A(小型犬)の飼い主。

Y1社は、動物病院である本件病院を運営する有限会社であり、獣医師であるY2が代表者を務めている。

Aの診療経過

H24.1 本件病院とは別の動物病院で僧房弁閉鎖不全症に対する弁の再形成手術(僧房弁形成術)を受けた。

H24.4.9 本件病院とは別の動物病院で心臓エコー検査,心電図検査及び血液検査を受けたが,特に異常は指摘されなかった。

同年4.12 Aが血尿、嘔吐し、夜間救急動物医療センターを受診。
体温が39℃(平熱は約38℃)、心雑音あり。血液検査,尿検査,膀胱の超音波検査等の結果、細菌性膀胱炎と診断。

同年4.13 XはAを本件病院に受診させた。Y2は夜間救急動物医療センターからの報告内容やAの体温等を確認し、聴診器を用いて心音の確認を行った(次回以降の診療においても同様)。

Y2の判断や方針は次のとおり

「血尿は細菌性膀胱炎に由来するものと考えられるが、嘔吐の症状が強い上,CRP値が高く,また,震えも伴うことから,膵炎や腎盂腎炎,心内膜炎等の感染性疾患,その他膵臓疾患や眼科領域の疾患も疑われる。」
「4月9日実施された心エコー検査の結果に異常はなかったこと、心雑音自体は認められるものの、僧房弁形成術後の診察の際と比べても特段変化が認められなかったこと、そもそも小動物における心内膜炎はまれな疾患であること等から,心臓由来の感染性疾患は否定的である。」
「細菌性膀胱炎と診断され、少なくとも尿中には細菌が存するところ、Aの主症状は同一由来のものと考えるのが自然であるとして、感染性疾患の中でも膵炎や腎盂腎炎を鑑別の上位に挙げて治療に当たることとする。」

まずは尿培養検査によって、そこから検出された感受性の高い抗菌薬を特定することを優先することとした。消化器症状が出にくく,やや広いスペクトルを持ち,耐性菌の発生の可能性が低いトリブリッセンを処方し,バイトリルの皮下注射等を実施した。

同年4.18 XがAを本件病院に受診させる。尿培養検査につき、ゲンタマイシン、オフロキサシン、フルオロキノロン系の抗菌薬に感受性があるという結果が出たことを踏まえ、トリブリッセンをフルオロキノロン系の抗菌薬であるバイトリルに変更し経過観察となった。

同年4.23 再度、XがAを本件病院に受診させる。Y2は、感染性疾患以外の免疫性疾患の可能性も視野に入れながら、依然として鑑別の上位に挙げられる腎盂腎炎等の感染性疾患に対する治療を優先することとした。

同年4.24 XがAの右内股辺りが腫れている気がするとして本件病院に受診させた。

Y2は、感染性疾患以外の免疫性疾患にあるのか確かめる意図もあり、ステロイドを少量投与して反応をみることとした。(依然として腎盂腎炎等の感染性疾患が鑑別の上位に挙げられていた)

同年4.25~5.8 Y2による治療を継続するが、Aの症状が悪化していったため、Aは転院した。

同年5.12 転院先において、心内膜炎の可能性があるとして心エコー検査を受け,その結果、心臓内の逆流や僧房弁の変形等が認められたことから、心内膜炎であるとの臨床診断がされた

同年12.28 転院先で治療を続けたが、Aは死亡した。 なお、感染性心内膜炎は犬において比較的まれな疾患であるとされ、雌犬よりも雄犬に多く,小型犬種よりも大型犬種に多いとされる。

裁判所の判断

この裁判では、Y2のいくつかの「過失」の有無が争われましたが、いずれも根底にあるのは「Aに感染性心内膜炎であることを見抜けなかったことにY2の責任が生じるのか」という点にありますので、これを中心に紹介します。

確かに、僧房弁形成術の既往があることは、心内膜炎の誘因になるとされ、Aには発熱やCRP値の上昇という事情も認められていた。

しかしながら、①発熱やCRP値の上昇それ自体は、心内膜炎のみにみられる特異的な症状ではない上、
②近日に実施された心エコー検査で異常が見られず、心雑音についても、僧房弁形成術後の診療の際に聴取していたものと比べて特段の変化がなかったこと
③そもそも小動物における感染性心内膜炎自体がまれな疾患であったことから感染性心内膜炎については否定的であると考え、その後も、診察の都度行っていた心音の確認に際し、心雑音の程度に変化が見られなかったことから感染性心内膜炎について否定的であると判断したと認められるところ、感染性心内膜炎は小型犬種においてまれであること
④心雑音の質や量が変化したと認められる場合に感染性心内膜炎を疑うとされていること

Y2が感染性心内膜炎を積極的に疑い、感染性心内膜炎に対応した治療を行うべき状況にあったとは直ちにいいがたい

かえって、Y2は、①Aの症状から細菌性膀胱炎にとどまらない感染性疾患を疑い、特にその症状が細菌性膀胱炎と同一由来の泌尿器科系を想起させるものであったことから尿培養検査を行うとともに
②検査結果が判明するまでの間,ややスペクトラムの広い抗菌薬の経験的投与を行うなどし
③感受性のある抗菌薬が判明した後には,感受性のある抗菌薬に変更して抗菌薬の投与を行うなどしている

Aに認められた臨床症状を基に対処していたと認められるところ、これが臨床獣医学における医療水準に反するものであったことを認めるに足りる証拠はない。

Y2に過失は認められない

解説

個人的な印象ですが、患者・医師・法律家は、「医療ミス」の捉え方がそれぞれ違っています。

患者(とその家族)は、医療ミスを「悪い結果」と捉えています。
もちろん個人差がありますので、できることを尽くせば満足してくれる方もいますが、大抵の場合、治療の成果が出れば満足し、成果が出なければ不満となります。
(余談ですが、これは弁護士にも当てはまります。一生懸命にやっても評価してもらえないのは、お互いに悲しいですよね…)

次に、医師は、医療ミスがあったかを「振り返ってみて、ベストが尽くせたかどうか」で判断する傾向があります。
臨床の現場では時間に追われていますが、いざ訴えられると、冷静にカルテを見直すことができます。
「あれができたのではないか」「この時に処方した薬は違う方がよかったか」なんて考えが頭をよぎっているようにお見受けします。

最後に、法律家はどうでしょうか。
医療ミスは、「医療の水準」に反していた場合を指すと捉えています。
この医療水準という表現は、判決内でも用いられている言葉ですね。
大前提として、法的には、重大な結果が生じたことだけでは責任を負いません。患者側が医療側の責任を問う際の法的な理屈は「債務不履行」(=契約で定めた行為をしなかった)や「不法行為」(=故意や過失で他人に損害を与えた)になります。
そのどちらも、「尽くすべき注意義務を尽くさなかった」ことが必要とされています。

では、医師の「尽くすべき注意義務」って一体なんでしょうか?

これを具体化したのが、「医療水準」という表現です。
大まかに言えば、「その診療の時点で、日本の医療業界では当然とされている医療行為をすること」を意味します。

まず、医療は日々進歩していますので、「その時点」の医療水準が問われています。
また、最先端設備は一部の大学病院にしかないことが多く、考えうるベストを尽くすことではなく「当然とされている医療行為」つまり水準に沿った行為が求められています。

「医療水準って具体的に何なの?」と思われる方も多いのですが、その内容は、それまでの治療経過、各種検査の結果、他の医師からの情報提供の内容、患者の主訴等によって異なるため、いつも同じ内容ではありません。
そう言われても不安だ、という方は、各種の診療ガイドライン、これが医療水準を図る上で大きな手掛かりになると知っておくとよいでしょう。

いざ裁判になって医療ミスが問われた場合、裁判官は、医師が医療水準に反する行為をしていたか、という視点で見ています。

ご紹介した事例のように、結果として心内膜炎を発見できていなかったとしても、それだけで医師の責任を問うことはせず、標準的な医療行為をしていたかどうかを緻密に検討しているのです。

転院前の病院の医師からの情報提供、心音の確認、主訴等をもとに、心内膜炎の可能性が低く、感染性疾患の中でも膵炎や腎盂腎炎を鑑別の上位に挙げて治療に当たることにしたY2の判断、その後の治療経過は、どれもしっかりとした医学的な根拠があります。
結果として心内膜炎を発見できなかったとしても、そのことに責任はないと判断されたのです。

医師は有能ですが、万能ではなく、神様ではありません。

神様の目から見て最善の手を打つことを求められているのではなく、皆様の知識と経験に基づいて、その時点で考えられる手を尽くしていれば、医療ミスだと判断されることはないと、自信を持っていただきたいと願っています。

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