若手の医師の先生方と雑談していると、「将来の選択肢として、産業医を考えているんだよね」という話を少なからず耳にします。
私は従業員トラブルに多く関わってきましたが、その中で産業医の先生が現場でどのような関わりをするのかを見聞きしてきました。
(例えば、通常勤務をさせてよいのか、就労制限をするとしたらどのようにしたらよいのか、企業から意見を求められた場面)
そんな体験談や、体験から得られる学びを雑談としてお伝えすると、「産業医の世界って、医学部や研修医で学んできたことと全然違う。」「臨床とは違うことに気を付けなくてはいけないんですね。」といった感想をいただきます。
そこで、本記事では、弁護士の視点から、産業医が意識した方がよいこと、気を付けた方がよいことをご紹介します。
(あくまでも私の知見に基づく個人的な見解であることはご了承ください。)
現在悩まれている産業医の先生や、これから産業医を目指す先生に、少しでもお役に立ったら嬉しい限りです。
企業との向き合い方
①紛争になりやすい場面を知る
一口に「産業医」といっても、その役割は様々です。
労働安全衛生法(同法に関連する規則)に規定されており、その条文を読むだけでも多様です。
安全衛生委員会への出席、衛生教育、健康管理、ストレスチェック、健康指導等の場面でお力を借りることになります。
その中でも、紛争に発展しやすい(産業医が紛争に関与しうる)場面がいくつかあります。
代表的なものは、休職・復職に関して意見を求められる時でしょう。
企業の就業規則によっては、休職を命じるか(再度の命令を含む)、復職を命じるか、復職を命じるとしてどのような業務を任せるか等を企業が判断する上で、企業が指定する医師の意見を聞くことが定められています。
「指定する医師」といっても、面識がない医師との意思疎通はなかなか難しく、現実的には産業医の意見を聴くことになります。 場面として多いわけではありませんが、休職・復職に関する意見を求められることがあるか、顧客企業の就業規則を確認しておきましょう。
②企業との距離感を知る
医療現場では、対外的に相手をしなくてはならないのは、基本的に患者とその家族です。
ですが、産業医は、「対顧客」の構造が少し違うのです。
(患者等を顧客と表現することに語弊があることは承知の上で、分かりやすくするための表現であることをご容赦ください。)
産業医に対して直接に頼ってくるのは、まずは企業です。
一方で、健康管理等を行う対象者は、その企業の従業員です。
医師が面接をしたり、指導をしたりする相手と、自分を頼ってくる相手(顧客)が、違う存在なのです。
患者との1対1ではなく、企業・従業員がかかわる三者構造になっていることを意識しましょう。
そして、産業医はそれぞれとの関係を適切に保たなくてはなりません。
臨床現場と同じ感覚で、不調になりそうな者、不調を訴える者である従業員に寄りすぎると、それは病院やクリニックで診療をしているのと同じです。
それでは、実態的には出張診療になってしまいます。
他方で、自分の顧客であり、自分に報酬を払ってくれる企業に寄りすぎると、医学的知見を持たない無資格のコンサルと似たようなことをしかねません。
企業に有利になるように、企業の要望に沿うように、という観点は必要ですが、産業医は医学の専門家ですから、医学的に可能な意見を述べればよいのです。
企業に寄りすぎない方がよいことが分かる、具体例(フィクション)をご紹介します。
遅刻欠勤早退を繰り返す従業員を休職させるかどうかについて、主治医は「就労は可能である」との意見を述べた診断書を書きました。
企業としては、就労を続けて従業員の体調が悪化した場合、安全配慮義務違反になりかねないので、慎重に検討することにしました。
産業医の先生にそのような悩みを相談して意見を求めたところ、産業医は従業員と面接して、「就労は難しい」との意見を述べました。
企業は、就労が難しいという医学的な意見がある以上、従業員を働かせられないとして、休職を命じました。
その後、従業員が裁判を起こし、休職命令は無効であると主張してきたのです。
裁判の中では、主治医の見解と産業医の見解はどちらが適正なのか、という点に主眼が置かれました。
企業側の弁護士が産業医と連絡を取り、就労困難と判断した理由を尋ねると、「企業が望んだから」という驚きの返答がありました。
結果、主治医の見解が適正であるとして、休職命令は無効であると裁判所は判断しました。 企業のためを思ってした行動が、結果として企業のためになっていない、ということが起こりえるのです。
従業員との向き合い方
①「職場」が何の場所であるか意識すること
企業と従業員との法的な関係は、雇用契約の当事者であるということです。
従業員は企業に対して、労務提供(仕事をすること)の義務を負っていまして、職場というのは、従業員が労務を提供する場所…仕事をする場所なのです。
病院やクリニック、自宅と違って、本来的に治療を目的とする場所ではないのです。
企業は従業員に対して、給与を支払う義務のほか、安全配慮義務を負っていまして、従業員の健康に配慮することが求められてはいます。
従業員の健康状態がこれ以上悪化しないように配慮をする必要はありますが、職場を治療の場にまですることは求められていないのです(治療機関や自宅での治療の手助けをする位置づけです。)。
産業医の先生は、健康管理、面接指導等を通じて従業員と接することになりますが、病院やクリニックにおいての、患者との接し方とは違うスタンスを求められています
「健康を害しているか」「健康を害しないように何をすべきか」「症状の改善のために何をすべきか」を医師は考えるかと思いますが、産業医はその先に「与えられた業務を職場で行うことができるのか」を見据える必要があります。
例えば、不調となった従業員が、どうすれば十分な労務提供が可能な状態になるのかについて意見を求められた際は、一般的な治療方針を述べるのではなく、「その企業での労務提供」を意識した改善策を考えることになります。
また、休職を命じるべきか、復職を認めるべきかについて意見を求められた際は、一般的抽象的に働けるかどうかではなく、「その企業の、その従業員の業務を、十分に行えるかどうか」を考えることになります。
その従業員の業務が、メインは肉体労働なのか頭脳労働なのか、事務なのか営業なのか研究なのか等、具体的な業務内容によって、就労の可否等は異なります。 そのため、産業医の先生は、顧客である企業の業種や、対象の従業員の具体的な業務内容を把握しておくことが欠かせません。
②直接の責任問題が生じうると知っておく
産業医という立場は、契約という観点では、企業との契約(業務委託等)はあるものの、従業員との契約はありませんので、従業員に対して契約上の権利義務があるわけではありません。
病院やクリニックにおいては、患者との契約関係(基本的に準委任)が生じていますので、法的な位置づけは大きく異なります。
そうは言っても、従業員との法的な関係性が全くない、というわけではありません。
気を付けなくてはならないのは、守秘義務です。
健康診断、面接等を通じて知りえた情報は、病院やクリニックの時と同様に、その従業員の秘密・個人情報です。
その秘密を従業員以外の者に漏らしてはならない義務が、労安衛法にも規定されています(罰則も設けられています。)。
病院やクリニックの場合、知りえた患者の秘密は、基本的にその患者のために使用することになりますので、あまり問題にはなりません(家族への開示がどこまで許されるのか、という問題はありますが。)
産業医の場合、知りえた従業員の秘密は、企業が何らかの判断をするために使用するものですので、秘密を保護すべき相手と、秘密を必要としている相手が異なっています。
産業医になる過程で、この守秘義務の構造を学ぶ機会はありますが、そうではない企業(担当者)は理解していないことが少なくありません。
企業からすると、プライベートを含めて従業員の事情が把握できないと、どのような配慮をしたらよいのか分からないという考えが強く、他方で産業医が守秘義務を負っているとは意識せず、企業にあらゆる秘密を開示することは当然であると考えていることがあります。
体調不良の一因と思われるプライベートな出来事、職場の人間関係、診断名等を企業が知りたがり、強く求められた挙句にうっかり漏らしてしまう、ということがないように気を付けましょう。
基本的に、産業医が企業に伝えられるのは、労務提供が可能か、就労を制限すべきか、休職を命じるべきか、といった結論部分です。
必要があって、企業へ秘密を開示するのであれば、従業員から同意書(口頭はNG)をもらうようにしましょう。
また、従業員から産業医が直接訴えられるケースがありうることは頭の片隅に置いておいた方がよいです。
自律神経失調症で休職している従業員と面接した産業医が、従業員の背中を押す考えがあったのか、「それは病気やない、それは甘えなんや。」、「こんな状態が続いとったら生きとってもおもんないやろが。」と発言したこと等について、産業医の責任が認められた裁判例があります。
この判決の是非を巡っては賛否両論があり、必ず産業医が責任を負うわけではありませんが、この例のように、「企業ではなく、産業医が単独で訴えられることがある」ということは覚えておいてください。 録音自体に違法性があるとは言い難く、面接時に従業員が録音していることを想定しておきましょう。
産業医は、病院・クリニックにいる時とは違った配慮が求められます。
企業や従業員との距離を適切に取りましょう。
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